EspritdeKzhrot’s diary

Pick up the interesting topics of naval security from the U.S. Department of Defense and U.S. Navy trend reports and so on. Also, I will make a note and follow on my ideas.

戦争責任者の問題 伊丹万作

薮入りも中元もお盆も七月だったり八月だったり、日本の暦はいろいろになってしまったけれど、敗戦の日は八月十五日というのは、日本人にとって当たり前というか、殆どの人が常識としていることである。これは、8月14日の御前会議でポツダム宣言受諾を決定し、連合国側に通告、この事実を15日正午の玉音放送で国民に伝えられた日だから。

 

ところが外国人と話して、彼らが8月15日を重要と思っていない、というより戦争が終わったのは9月という人もいて驚かされる事がある。まあ、もっと聞いてみると、それぞれの国や地方の、戦闘の終結終戦手続きが整うのは、それぞれいろいろなんだと気付かされるのだが。

 

もっとも、米国はずっと戦争をしていて、単に戦争と言って、インド太平洋戦争(太平洋戦争を、新しくはこう呼ぶらしい。あながち大東亜戦争との呼び名は間違いではなく正確だったのかも。)や朝鮮戦争を想起する人はかなりのベテランで、ベトナムであったり、湾岸に従軍したのが結構な歳の人であったりして、8月15日を知らなくて当然だとも思いますが。

 

日本がポツダム宣言を受諾し、東京湾上の米戦艦ミズーリ号の甲板で降伏文書の調印式が行われたのが9月2日で、この日が終戦と思っている人もいる。

この国際関係における、二週間くらいの認識の差が、例えば北方領土問題を複雑にしている。

 

さて、戦後の思いはさまざまでも、伊丹万作「戦争責任者の問題」(映画春秋 創刊号・昭和二十一年八月)が示す事は、現代においても「正義」を掲げて訴えることに胡散臭さが感じられることも「考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか」と考えることを教えてくれます。一読の価値があると思います。

 

リンク先の青空文庫で全文が読めます。

www.aozora.gr.jp