EspritdeKzhrot’s diary

Pick up the interesting topics of naval security from the U.S. Department of Defense and U.S. Navy trend reports and so on. Also, I will make a note and follow on my ideas.

テセウスの舟

ここではドラマではなく、ギリシャ神話を取り上げます。

 

何が本質で何処までの置換がオリジナル足り得るかという問題。

 

まずは、テセウスのふね Ship of Theseusをざっくり要約。

ギリシャ神話のテーセウスが帰還した船を遺構として保管する長い間に、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられ、やがで哲学者に、その船はもはや同じものではないとする論と、まだ同じものだとする議論が生じた。

 

全部の部品が交換された時、その船は同じものと言えるか、また、撤去部品を集め別に船を組み立てたらどちらがテセウスの船かという、パラドックスの一つで、ある物体を構成する要素が全て置き換えられたとき、過去と現在のそれは「同じ」と言えるか否かという同一性の問題であり、また、人が同じ川に入ったとしても、常に違う水が流れ、同じ川に2度入ることはできないという「ヘラクレイトスの川」や、本来の部分がほとんど残っていないことを意味する英語の口語「おじいさんの古い斧(Grandfather's old axe)」なども、やや違いそうなものの似たような問題です。

 

さて、

哲学ではなく工業製品の法的定義では、例えば自動車は車体番号を記した車体がオリジナルで他は構成部品とかと定義することが行われているが、それはそう決めただけでテセウスの答えではないだろう。

 

では、自分の体など生命があるものではどうか。

 

日常の医療行為としてのインプラントは、義歯に限らずとも、骨や腱を固定する金属や、血管中に留置するステント、眼内レンズなど異物を体内に留置することは既に行われており、いわゆる部品の置き換えとは少々異なるが、自己の臓器を培養し移植することや、一部を工業部品で置き換えることとなるとどうだろう。サイボーグ009とか。

 

遠くない将来、そういうことも増えてくることと思われますが、どこまでの部品の置き換えがオリジナルと言えるのか考えてみたいというのがとりあえずのまとめです。