EspritdeKzhrot’s diary

Pick up the interesting topics of naval security from the U.S. Department of Defense and U.S. Navy trend reports and so on. Also, I will make a note and follow on my ideas.

女神の見えざる手

映画「女神の見えざる手」は、ジェシカ・チャスティンの魅力が溢れたとても面白い映画、おすすめです。

話は、銃規制法案化を争うロビー手法の話で、武器の使用や保有の是非が直接のテーマではないものの、武器に依らない社会の実現には、武器を保有せざるを得ない矛盾などを考えさせられます。

ここでは映画の内容には触れませんが、この映画を通じいろいろ考えた「神の見えざる手」について、思い付きで整理できず発散していますが、メモしておきます。

 

暴力の否定の手段が暴力であることの是非というか、極論同士のぶつかり合いに落ち入り易い問題に、折り合える境界はどこにあるのでしょう。アンパンマンのアンパンチや、ライダーキックは暴力表現で、排除されるべきものなのでしょうか。

 

いきなり話はそれますが、

女性キャリアの場合はスーツからドレスへの流れらしいのですが、シャネルスーツくらいならそうかなと思えても、ワンピースドレスとなると、仕事次第とかでは手に負えないし、どう評価するものか、ヒールも好きだが程度問題。ましてや LGBTQ なら、ビジネスアタイアはどのあたりに。まあこの映画のジェシカのお召し物は、理解の範囲内でした。

 

さて、概ね現状を肯定するか否定するかが、社会での立ち位置を決める大きな要素であるものの、それはどちらかと言えば主義思想や経済的なことよりも、過去を肯定ないし否定したい感情と、将来を肯定ないし否定したい怖れによる、殆ど論理的ではないことで決められているようです。

 

例えば、裁判の判決で告訴告発側に添うような絶対安全性を求める意見が出ることがたまににあります。絶対安全を求めるなら、確実に起きそうな富士山噴火や惑星衝突など、無限に考慮せざるを得ず、国や事業者は出口をなくします。もちろん航空機運行などもできない。となると原発事故のような予想被害の規模により、免責せざるを得ないのが現実であり、線引きの議論に。そこに「神の見えざる手」は働くか。

 

そうそう、自らの主張に沿わない判決だからといって、不当判決を叫ぶのは、法律関係者が自ら司法を否定していることではないでしょうか、いちばん始めに習いそうなことですが。自らの主張以外は不当なら、神の手はどうでしょう。

 

批判すること自体を目的とした人は、それぞれどうして自分がダブルスタンダードに陥っていることに気づかないのか。 とにかく自分の主張を正義とするのに理性を失い、合理性を蔑ろにして論理を破綻させているその過程で、認識できない脳の作用や、心理的な原因があるとしたら、それは神の領域なのでしょうか。とても不思議。

 

いろいろな報道を見て、耳を疑うとか、馬鹿みたい。と思う事が多いように思いますが、本当に馬鹿みたいな事が多く生起しているのか、針小棒大に言ってキャッチ狙いなのかわかりません。繰り返し馬鹿みたいな事を聞かされるのは勘弁なものの、ニーズに応じ供給されているのなら、皆そんなに馬鹿みたいな事が好きってこと?

 

凶悪犯罪の刑事裁判で、計画的で残忍、かつ反省も無く情状に斟酌する事由もない…と口を極めておきながら、無期とか15年求刑とか釣合いが悪いと感じる事が多いです。

日本語として、極めて許しがたいと言うなら極刑に帰結せざるを得ないだろうに。法的に軽い求刑や判決にせざるを得ないなら強い修飾語はやめたら如何でしょう。

 

暴力を暴力で制する概念、銃器に依らない社会の実現には、銃器を武器を保有せざるを得ないアメリカの矛盾、大きく構えれば、治安組織など暴力装置や軍と国の相互確証破壊に「神の手」は働くかみたいなことを考えていて、脇道にそれ長くなったのでまた別稿で。ではまた。